私が高校生の時は、
「electricとelectronicの違いって何だろう?」
「admit、allow、permitってどう使い分けるんだろう」
なんて思ったときは、辞書を引いていました。辞書を引いて、例文を見て、どういう単語と一緒に使われるか、確認していました。また日本語ではぼんやりしか理解できないときは、英英辞典も引いていました。
そうやってこまめに調べることで、だんだん単語の意味を理解していったのです。
英語の勉強は終わりのない旅のようなもので、今でもこの作業は毎日続けています。ただ、今は紙の辞書よりはインターネットを使いますが。
最近はNetspeakをよく使いますね。
検索してみると、無数に例文が出てきます。もちろん、ネットには間違いも多いですが、何千件、何万件もヒットするような表現は正しいと考えることができます。
今の高校生は、1つの単語、表現がどう使われるか調べるのにインターネットを使うことができます。
辞書1冊で、例文が2、3個しかない中で単語の意味や使い方を理解しようとしてきた私に比べれば、かなり恵まれた環境と言えます。
本来言語というのは、1つの単語をさまざまな例文の中で見たり聞いたりする中でその使われ方を身につけていくものです。
数学のように、規則を覚えたら他にも応用できるものではなく、例外がたくさんありますし、日本語で考えても分からない、理屈では説明できない表現もあります。言語は文化の鏡ですから。
そこで、インターネットで、たくさんの例文に触れることで、かなり理解が深まるのです。
これだけ恵まれているのに、高校生たちはインターネットの効果的な使い方を知りません。辞書すら引こうとしません。
問題集にある1つの例文だけ見て、無理やり疑問点を解消しようとして壁にぶつかっています。
これは、ある程度私たち大人の責任でもあると思います。勉強の仕方をきちんと教えていく必要があります。
勉強する時に(もちろん勉強だけではありませんが)分からないことがあったら調べてみる。これくらいの力は、中学生くらいまでには身に付けてほしいです。
調べることが習慣になっていていろんな例文に触れている子と、問題集の英語だけやって狭い視野しか持てない子。
どちらが「自然に」「有機的に」知識を積み上げていけるかは明らかですね。
言葉は生きていて、問題集だけで完結するわけがないですから。